ツギドコ

人生は旅。「次はどこへ行こう」略してツギドコ。

20年生きただけでお祝いしてもらい不思議な気持ちだった成人式を振り返る

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新成人のみなさま、成人おめでとうございます。
ご家族のみなさま、お疲れさまでした。

かれこれ2年前、私も成人式に出席しました。
成人式前後で感じた不思議な気持ちを綴ってみたいと思います。

二十歳の誕生日のおはなし

20歳の誕生日は友人と街で飲んでいた。

「20歳になったら、なにかかわるのかな?」

そんな期待も少ししていたけれど、お酒が飲めるようになり、選挙権を得た以外は変わらなかった。
特別な心の変化もなかった。

この日、飲みに行ったお店でバースデーソングが流れた。
「マジ??」
と思いながら友人の顔を見ると少しきまずそうだった。
隣のテーブルだった。

帰り道、知らないお兄さんと喋った。
「悩み聞きます!無料!」
というダンボールを持ってアーケードに座っていたお兄さん。
暇だったので30分くらい雑談していた。
帰ろうかなーと支度を始めたとき、
「誕生日おめでとう。」
と言って、キットカットをくれた。
いい人だな〜と心を開いた。

 

次の瞬間だった
「ところでさ、神様とか信じてる?」

 

ハタチの誕生日は宗教勧誘された。

 

成人式当日のおはなし

誕生日から約半年間、特に心の変化もないまま成人式当日を迎えた。

「成人おめでとう。」

実家の居間で家族がお祝いをくれた。
親戚からもお祝いが届いていた。
昔の先生や、よくしてくれる先輩がメッセージをくれた。
後輩がプレゼントをくれた。

すごく嬉しかった。
同時にものすごく不思議な気持ちだった。

「20年間普通に生きてきただけなのに、なんでこんなに祝ってもらえるんだろう?」

 

20年間、私はただ生かしてもらっただけ

キングオブコメディの「誘拐」というネタにこんなシーンがある。
誘拐されたにもかかわらずふざけ続ける子どもに対して犯人が聞いた。

「お前自分が置かれた立場わかってんの?」

子どもは答えた。

「うん、扶養家族。」

これが言いたかったためだけにネタをサンプリングした。
そう。
私は20年間、扶養家族として親のすねをかじりつづけていた。
家族以外のひとたちからもたくさんサポートしてもらって生きてきた。

「私はなにか提供できたのだろうかか?」
「祝ってもらって本当にいいのだろうか?」

そんなことを考えてぼーっとしていたら成人式は終わっていた。

 

恩返しができる大人になると決めた日

成人式の始まりは、戦後の日本の若者を激励し希望を与えようとするものだったと成人式で聞いた。
平和な時代になった現在だが、どれほどの若者が希望を持っているかわからない。
正直、わたしもよくわからない。
小学校4年生の学校行事「2分の1成人式」で語ったような大きな夢もない。

私がこれからすべきことはなにか。
ひとまず、恩返しができる人間になろう。
そして最終的に、

「あいつと知り合いなんだよね。」
と誇りに思ってもらえるような人間になろう。

仙台に戻る新幹線の中で少し大人になれた気がした成人の日でした。

 

やーまん

20代にしておきたい17のこと (だいわ文庫)

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